TRANBI×e-Agency トップ対談 「ネット×リアル」で人と地域を元気に!【前編】

2019年6月25日 | 富満祐子

TRANBI×e-Agency トップ対談「ネット×リアル」で人と地域を元気に!【前編】
京都で創業したイー・エージェンシーと、長野で創業したトランビ。ともにインターネットを使った事業を展開する両社のビジョンに共通するのは「日本社会を良くする」ことだ。事業を通じて日本社会が抱える課題に思いを巡らせてきた両経営者が<「ネット×リアル」で人と地域を元気に!>をテーマに、デジタル(IT)が切り開く地方創生の未来や夢を語り合った。

電源を切ったり、PCを分解!? インターネットとの出会いと創業

甲斐: 弊社(イー・エージェンシー)は、「おもてなしを科学する」を信条にした、デジタルマーケティングサービスの会社です。いわゆるビッグデータの活用を通じて、お客様のマーケティングの成果をあげていく事業をメインに行っています。

具体的には、Webサイトのアクセスデータをはじめ、様々なデータを分析・活用してお客様のマーケティング施策の立案・運用をお手伝いしたり、ECサイトなどで訪問者の嗜好にあったアイテムや情報を表示するようなクラウドサービスを提供したりしています。最近ではインバウンド対応に向けて、Webサイトを自動翻訳で多言語化するクラウドサービスを始めました。

高橋: 弊社(トランビ)は、中小企業がM & A(事業承継、合併、買収)をする際に「売り手」と「買い手」に出会いの場を提供する、国内最大級のオンライン上のプラットフォームです。

これまで日本では実現が難しかった、売上1億円以下の小規模な企業でもM & Aに挑戦できるため、現在3万社近い企業が利用してくださっています。父が創業した長野のアスク工業を2010年に引継ぎ、その一事業として2011年からサービスを始め、2016年に分社化して今に至るのがトランビです。

株式会社イー・エージェンシー 代表取締役 甲斐 真樹

甲斐: 私が弊社のベースになる会社を創業したのは1995年の4月です。きっかけとなったのは、同年1月に起きた「阪神淡路大震災」でした。

幸いにも私の周囲では大きな被害はなかったのですが、あのときは電話回線に障害が起きて交通網も麻痺していましたから、関西は時間が止まったような空気感でした。そんな状況の中、テレビを見ていたら、地元の大学や企業を中心に、安否確認などをインターネットで行っているというニュースが流れました。

「インターネットって何だ?」 そう思って、再開した図書館で本を借りてきて、モデムを買って電話線につないだんです。そうして本の手順通りに「Hello」と打ち込んだら、「Hello」と返事が返ってきて――、あまりの衝撃に思わず電源を抜いてしばらく放心状態に陥りました(笑)。

「これはすごい時代が来るぞ」と思いました。今までは手紙にしても電話にしても、知っている人とコミュニケーションをとるだけだった。それがインターネットを使えば、匿名の相手とやりとりができるわけですから。「インターネット上でなら、新しい世界が作れるんじゃないか」。そう確信し、当時していた公認会計士の勉強は止めて創業を決めました。

それこそ自分がアメリカ西部の開拓者にでもなったような気持ちでしたね。なにも整備されていないところへ自分が道を引くんだって。高揚感を覚えたものです。

高橋: 私も当時のことはよく覚えています。ちょうどその頃、父親がパソコンを買い与えてくれました。「インターネットっていうものがあるから、見ておくべきだ」と。甲斐さんと同じように、まずモデムをつなげて、いろいろ調べた記憶があります。当時、日本のヤフーはまだなく、検索しても何も出てこないような頃でした。

甲斐: そうです。まだサイトも数えるほどしかない時代です。ユーザーも少ないのに市場研究もせず、ただ面白さだけで飛び込みました。

高橋: モデムの通信速度が14kbpsだったり、Windows3.1の時代。懐かしいですね。買い与えられたパソコンを分解してしまったことを覚えています。もとに戻せなくなってしまい、ずいぶんと怒られました(笑)。ともあれ、あのインターネットの衝撃は大きいものでした。

甲斐: 実はあのとき、アメリカのヤフーを見て、日本でヤフーのようなものをやろうと考えたのが最初のビジネスだったんです。「JAPAN SEARCH ENGINE」という検索エンジンを作りました。当時まだホームページが2,000ぐらいしかない時代でしたけど、スタートして1、2カ月で大量のアクセスがくるようになって。そこから数カ月後には「広告を出したい」という相談が来ました。

法人化したのも、「料金を振り込みたいから会社を作ってくれ」と言われてトントン拍子で。それほど資本金にも苦労せず何とかなりましたし、今思えばラッキーすぎる起業でしたね。

高橋: JAPAN SEARCH ENGINEの検索エンジンのシステムは、どなたが設計されたんですか?

甲斐: 自分ではプログラミングはできませんが、作りたいイメージはありましたから、いろいろな人に聞いて足で探しました。図書館で聞いたり、電器屋に行って断られたり(笑)。そうしたら、なじみの定食屋でアルバイトをしていた若いお兄さんが「それ作れるよ」って(笑)。近くの大学の情報学科の学生で、まだマイナーだったインターネットの言語を学んでいたんです。

高橋: 当時、日本でインターネットを使っている人がほとんどいない状況ですよね。エンジニアもいなかっただろうと思ったのでお聞きしたんですが、そこを突破されたのはすごいことですね。まだ「ベンチャー企業」なんて言葉も一般的ではなかったと思いますし、おそらくそんなことをしている人は周りにいなかったんじゃないですか?

甲斐: そうなんです。大学を卒業して1年目でしたから、同級生たちはそれなりの会社に就職して、たまに電話をかけてくるわけですよ。「戻ってこい」と(笑)。今は「ベンチャーをやる」っていうのは一つのキャリアですけど、当時はまだ夢を追ってミュージシャンを志すと言ったほうが説明もつくくらいで。幸いにも親は寛容でしたけど、親戚からは怒られましたね。

高橋: それは怒られると思います。当時はそんな道を歩む方はいませんから(笑)。

甲斐: 創業翌年の96年1月にヤフーが日本に上陸したんですが、そのときには我々はメディアを立ち上げていました。まだインターネットの常時接続が出来なかったので、ユーザーがモデムに繋いでいる間に受け取って、接続を解除してからも見ることができるメールマガジンの形式をとりました。

インターネットのユーザー数の伸びとともにメールマガジンの読者も増えていったので、メディアの広告枠やメール配信の技術を売ったりする部隊が必要になってきたんですね。それが今のイー・エージェンシーを作ったきっかけです。

ただ、メディアは景気に連動して広告収入のアップダウンが激しかったので、90年代後半に起きたネットバブル崩壊時にかなりダメージを受けました。そこで危機感を募らせ、以降は法人向けのWebサイトのデザイン制作やシステム構築を中心にするようになりました。

株式会社トランビ 代表取締役 高橋 聡

長野でM & Aと言ったら、取引先から距離を置かれた

高橋: 私は2005年に長野で父が経営していたアスク工業に入社しました。スポンジやゴム製品等の製造業を中心とした会社です。そこで直面したのは、「300~400社くらいあるお取引先のうち、毎年3~4社が後継者不足で廃業する」という現実でした。

製造業はさまざまな企業が作るパーツを組み合わせて製品を完成させます。例えば、カメラの場合は1万点くらいのパーツを使っていて、パーツ1つないだけで動かなくなるわけです。廃業した会社が作っていた部品をほかの会社に作ってもらおうとしても、同じものが作れるようになるまでに半年から1年かかってしまうこともあります。

一層のこと、廃業する会社の技術を我々が買い取ることはできないかと、東京の大手M & A会社を訪ねたところ、提案される案件は5億とか10億円の会社ばかり。そんなお金は出せませんから、5,000万円くらいでと提示したところ、「それはうちの手数料です」と言われました。そのとき、「日本では大手企業しかM & Aに挑戦することができない」と悟りました。

甲斐: M & A自体に着目されたのはいつ頃からだったんですか?

高橋: 高校生の頃でしょうか。昔からアメリカ映画が大好きなんですが、映画の中でイケている男はだいたい M & A業界に携わっているんです(笑)。リチャード・ギアとか、軒並み金融業界で働いていて、M & Aをやっている。それを見て「イケている男はM & Aをやるもんだ」って思ってたんですよね(笑)。

甲斐: ああ、わかります(笑)。そういう映画は多かったですよね。ニューヨークの摩天楼で働くっていうのは、当時のステイタスでしたしね。

高橋: 私はアメリカの大学に進学したのですが、ホームステイ先が上場企業の副社長の家でした。その家ではいつも食事をしながら家族で経営の話をするんです。そのときに、「会社は商品や事業が売り物ではなくて、会社そのものが一番の売り物だよ。経営者になるなら、いつでも会社を売れるようにしておきなさい」ということを教わりました。それもあって、昔からM & Aへの憧れを抱いていました。

東京でコンサルティング会社に勤めて経験を積んで、長野で会社を継いだ後にいろいろなことをやろうと思っていたんですけど、実際、長野でM & Aなんて言ったら、その瞬間に「怖い人」になってしまいました。社員はぽかんとしているし、取引先の社長さんにはちょっと距離を置かれるし、といった具合で(笑)。

甲斐: そうでしょうね。当時はM & Aなんて言ったら、ハゲタカファンドのイメージでしょうし。東京ならまだしも、長野の製造業の二代目社長がM & Aって、どうしちゃったんだと思われても仕方がないですよ(笑)。

社会との掛け算で新たなビジネスが生まれる

高橋: 「日本ではM&Aは大企業しかできない」と悟ってから、海外のケースを調べてみたところ、アメリカにインターネット上で会社を売買するサービスがあることを見つけました。ただ、今のトランビのサービスと違って、売りたい会社が広告を出して買い手を募るサービスでした。

アメリカでは日本と違ってM & Aが当たり前に行われていますから、会社が売りに出ていることを公にしても気にしない、だから成立するサービスです。M & Aに対する認識など社会としての環境があまりに違うので、同じ仕組みを日本で展開しても上手くいかないだろうと思いました。色んな施策を練ってはみたものの、採算が取れるとは思えなかったんです。

とはいえ、日本企業400万社のうちの99%は中小企業ですから、取り組む価値は大いにあります。後継者不足により黒字廃業していく会社を実際に見ていましたし、一方で自分を含めて買いたい人も絶対にいると考えていましたから。最終的に事業として行きついたのが、プラットフォームの形式でした。

M & A専門家を介すると、それまでの仕組みでは1000万円、2000万円といった仲介手数料が掛かる以上、どうやっても採算は合いません。そのため、やる気のある当事者同士で直接交渉できる場を作ろうと。そのため当初、専門家は一切入れない、当事者間のプラットフォームとして、トランビのサービスを始めました。

甲斐: 告知はどうされたんですか?

高橋: 特にしていません。私が設計をしたものをアスク工業の社員に作ってもらい、私一人が担当者でした。使用していただきやすい設計を考えて利用料を無料にして、サービスの存在を知った方に自由に使っていただく方式にしました。

当時のM & A案件は、金融機関やM & A専門家だけに集まり、その専門家が優良な大手企業を選んで1社1社打診していくといった仕組みでした。つまり、選ばれた人にだけ情報が公開されていたわけです。

そういった状況でしたが、我々はインターネットで売却案件を特定されない形で公開し、誰でも見られるようにしました。売り手になりたい人にとっては大事な場であり、買い手になりたい人にとってはその場は宝の山です。

最初は月に1件くらいしか新規案件の掲載がなかったのですが、少しずつ買い手が現れ始め、買い手が集まると自然に売り手が集まってと、サイクルがゆっくりと動き出しました。ある時期をこえたところで、サービスが社会に認知されて事業化に至りました。

甲斐: ただ、その時期を超えるまでにはかなりの辛抱が必要だったのではないですか?

高橋: それはありました。アスク工業という会社での一事業だったからこそ、成長を待つことができました。もし我々が最初からトランビにコストをかけ、人員を割いて一生懸命営業をしたとしても、若干サービスの認知が早まったくらいで、まだ時代としてインターネット上で事業継承を行うことを受け入れる段階にはきておらず、持ちこたえられなかった可能性もあります。

事業継承問題にメディアや国が本腰を入れ始めたのは2年くらい前ですから、世の中の流れ、社会的な後押しが重要な要素になったと考えられますね。

御社はインターネットの広がりとともに着実にその時代時代の課題を乗り越えて、サービスを成長させていますよね。検索エンジン、メルマガ、Web制作、今ではデータ活用というように。

甲斐: いろいろなサービスを時代に合わせて作っていかないと会社は継続しませんからね。でも、「面白そう」からスタートした会社でしたから、最初の数年はプロジェクトをやりながら、なにか問題があればそれを乗り越えている感じでした。

違和感を覚えたのは、Web制作をメイン事業にして会社が順調に拡大していた頃です。人が増えていく問題を抱えるようになったとき、「この会社って何のために始めたんだっけ?」と考えたんです。

創業メンバーばかりではなくなって、みんなが「なぜこの会社で働いているか?」を共通認識として持たなければならない段階にきていました。経営陣とも協議を重ねた結果、当時の副社長から「おもてなしを科学する」というコンセプトの提案があって、これで行こうと。

例えばテレビは1,000万人とか2,000万人の視聴者に同じ表現を伝えることを得意としています。逆に我々の場合はインターネットを利用したサービスですから、相手の気持ちや好みや人生のステージに合わせて情報を届けられる強みがある。「広く告げる」の「広告」ではなくて、「その人に合った情報をお届けする」。これが「おもてなしを科学する」を体現する活動なんじゃないか? 

そこで自分たちが取り組む事業を数年かけて選別していった結果、現在メインの事業になっている「データを使ったマーケティング」に行きつきました。

御社のビジネスにも通じるものがあるんですが、インターネットという新しいテクノロジーの要素を分解していくと、「繋ぐこと」と「データを残すこと」の2点に集約できると思います。これを今の社会に掛け算したらなにができるか? それで今までできなかったことができるようになったら、それは新しいビジネスになる。

インターネット黎明期からこの25年、あらゆるところでイノベーションが起こっているわけですから、我々もその視点でやっていこうということになりました。

取材・文=干川美奈子  写真・動画撮影=岩國英昭

Profile

株式会社トランビ 代表取締役 高橋 聡
長野県長野市出身。長野高等学校卒業。デュポール大学 情報システム学科卒業(アメリカ-シカゴ)
2001年、アクセンチュア株式会社入社。通信ハイテク本部にて、大規模システム開発プロジェクトに従事。2005年、家業であるアスク工業株式会社に入社。2010年より代表取締役(現任)。2011年7月に、事業を譲りたい方(売り手)と事業を引き受けたい方(買い手)をインターネット上で直接マッチングするユーザー投稿型の事業承継・M&Aプラットフォーム『TRANBI(トランビ)』をスタート。2016年「TRANBI」のサービス向上の為、株式会社アストラッド(現トランビ)を設立し、同社代表取締役に就任

事業承継・M&Aプラットフォーム TRANBI【トランビ】

株式会社イー・エージェンシー 代表取締役 甲斐 真樹
大阪府枚方市出身。同志社大学経済学部卒業。
1995年、インターネットとの出会いと可能性に衝撃を受けて起業を決意。大学時代の後輩らとともに日本発の検索エンジンサービス「JAPAN SEARCH ENGINE(その後『DRAGON』に改名)」を立ち上げる。以後、情報化社会を豊かで快適なものにしたいという思いの下、Webソリューション事業、Webマーケティングプロダクト事業などに領域を広げる。現在では「データドリブン・マーケティング・エージェンシー」として、ビッグデータ活用などデジタルマーケティング支援事業、SaaSクラウドサービス事業などを軸に、国内外でビジネスを展開している。

地元創生プロジェクト【さぶみっと!ヨクスル】

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