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卒業生と振り返るイー・エージェンシーの歴史 Vol.3 柴田 昌達さん

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イー・エージェンシーは、1999年の創業からこれまで、数多くの仲間に支えられてきました。仲間と一緒にいくつもの成功や失敗、その喜びや苦労を積み重ねて、今日まで成長してくることができました。そこで、過去に在籍していた人たちとともに当時を振り返り、そうした歴史の先に今のイー・エージェンシーがあることを再認識しつつ、今後の活動に繋げていきたいと思っています。
 
第3回目は、当時グループ会社のドラゴンフィールドにデザイナー職として入社し、独立後はイラストレーターとしてワールドワイドに活動されている柴田 昌達さんにお話しいただきました。
 
もともとはFacebookのライブ配信で、元在籍者をゲストに迎えて一緒にお酒を飲みながらざっくばらんにお話をする「少し早めのお疲れさん会」という企画ですので、みなさんもぜひリラックスしてご覧いただけるとうれしいです。また、動画の会話だけでは意図がわかりにくい部分もありますので、記事(テキスト)もぜひお読みください。

※動画中、映像や音声が乱れる部分があります。また、動画の記事化にあたり、表現や内容をより伝わりやすく編集しています。

柴田 昌達さん(現 オフィスシバチャン 代表)
イー・エージェンシーおよびグループ会社での略歴

2007年 グループ会社(2010年統合)のドラゴンフィールド株式会社入社
2009年 グループ会社統合時、イー・エージェンシー転籍後、退職。
  同年 オフィスシバチャン設立


入社のきっかけ

五十嵐:少し早めのお疲れさん会の第3回目ということで、オフィスシバチャン代表の柴田さんにお越しいただきました。柴田さんはイー・エージェンシーのグループ会社のドラゴンフィールドに在籍されましたが、入社のきっかけは覚えていますか?

柴田:もともとグラフィックデザインの会社に勤めていたのですが、これからWebの時代が来そうなので、Webも覚えておきたいなっていう気持ちがありました。そんなとき当時グループ会社のドラゴンフィールドで『WEB FLASH』という雑誌のデザイナーを募集していたんです。面接のときに「雑誌を作りながら、Webも覚えたらいいんじゃない」と言っていただけたので、これは自分にとっていい環境になるなと思い、それで入社を決めました。

甲斐:当時は、Web制作を手掛けるイー・エージェンシー、メディア事業を展開するドラゴンフィールド、Webマスター向けサービスの「さぶみっと!JAPAN」を提供するイー三六五という3社でグループを形成していたんだよね。

ドラゴンフィールドは、いろいろなWebやメールのメディアを運営してたんだけど、『WEB FLASH』というのは紙の雑誌で、Webサイトのリニューアル情報を専門にしていたね。隔月刊、1冊5,000円で、主にWeb制作会社や広告代理店がお客様だったね。

五十嵐:その当時の印象に残ってる思い出はありますか?

柴田:『WEB FLASH』では、誌面に掲載したい会社に自分で電話して掲載許可をもらったりもしていたんですけど、それがかなり大変だった記憶があります。僕の性格にも合わなくて(笑)。一方で、僕はデザインをするのが好きなので、一般向けに発行されるような雑誌のデザインを担当させてもらえたのはすごく嬉しかったですね。

五十嵐:当時の甲斐さんの印象はどうでした?

柴田:甲斐さんは社長なので、もっと目立ってもいいポジションなのに、自分から目立とうとしないところに、その大きさを感じていました。

甲斐:クセの強い人が多かったから、ここで出たらぶつかっちゃうな、とか思ったりね(笑)。でも、それくらい面白い人たちがいて、会社も回っていたからね。ぼくが出るまでもないなと。

『WEB FLASH』の廃刊を乗り越えて

五十嵐:柴田さんは『WEB FLASH』のデザイナーとして入社されましたが、在籍中に『WEB FLASH』は廃刊になりましたよね。自分のメイン業務が無くなってしまったわけですが、そのときどんな気持ちだったんですか?

柴田:「僕はもう要らないんじゃないかな」っていう気持ちもありましたが、やっぱりWebを覚えたい気持ちが元々あったので、「いま苦境に立っているけれど、もっと成長できるな」って思いました。

五十嵐:Webを学べるぞって前向きに捉えたんですね。いざWebデザインの仕事をするようになって、最初にやった仕事って何だったんですか?

柴田:自社サイトのHTMLやCSSをいじって、何かをちょっと変えるみたいなところから始めました。それからWebメディアが色々立ち上がりましたので、それらのデザインに携わるようになりました。

五十嵐:当時のドラゴンフィールドは、Twitterのようなミニブログのサービス「もごもご」(※)や、動画コンテンツの共有サイト「DOGGA」、不動産専門家とのQ&Aサイト「マンションってどうよ?」などをリリースしていて、柴田さんもそれらのデザインに携わっていきましたよね。

(※「もごもご」:2000年代前半に、海外でのTwitterの登場に触発されてスタートした日本発のミニブログサービス。一時は月間100万PVに達する程の人気を博した。)

「マンションってどうよ?」に、柴田さんのイラストコーナーがあったんですけど、そのイラストをすごく楽しそうに描いていて、僕は「柴ちゃん(柴田さん)ってやっぱりイラストやりたかったんだな」って思いながら見てました。

柴田:そうですね。イラストはずっとやりたいと思っていました。Webの仕事をするようになったわけですけど、あるとき同僚の人たちを見ていて、Webの会社で働いている人って本当にWebが好きなんだなと気付いたときがありました。それから自分がイラストレーターとしてやっていくイメージがすごく強くなってきたんですよね。その思いが沸き上がってきて、お腹を壊すぐらい(笑)。ワクワクしすぎて、すぐにトイレに行く、みたいな(笑)

五十嵐:心の底から湧き上がる衝動が、お腹の方に来ちゃった感じですね(笑)

イラストレーターとして独立

五十嵐:2009年に退職した後は、湧き上がってくる情熱を持ってイラストレーターとして独立したわけですが、不安な部分はなかったんですか?

柴田:そこはイー・エージェンシーに助けられたところがありまして、独立してから1年くらい仕事をもらってたんです。それで何とかなりましたね。

甲斐:うちの会社も作る会社だから、作り手が独立した時に気心が分かっているんで、その意味でサポートというのはおこがましいけれど、持ちつ持たれつの関係性でいたいとは当時も今も思っているよね。そういう繋がりはほんとに大事だよね。

五十嵐:イー・エージェンシーから仕事はありつつも、そこから仕事が広がっていったきっかけはあったんですか?

柴田:これもイー・エージェンシーでWebを勉強させてもらったおかげなんですが、オフィスシバチャンのサイトをすごい頑張って作ったんですよ。一回サイトを見たら仕事を頼みたくなるような感じに。

イラストレーターって、自分のサイトをわりと適当に作りがちなんですよ。だから、そこで差別化できたみたいで、Webから問い合わせが来るようになって、仕事の幅が広がりました。

五十嵐:僕がたまたま近所のショッピングモールに行ったら、一部が工事中でフェンスで目隠しされていたんですけど、そこに可愛いイラストが描かれていたんですよ。味気ないフェンスで囲まれているより全然いいな、と思ってたら、後日「あれ僕が書いたんですよ」って柴田さんから言われて、結構ビックリしました。

そんな感じで書籍や雑誌だけじゃなくて、活動が多岐に渡っていますよね。柴田さんの活動はSNSを通じて見聞きしてるんですけど、ある時期から柴田さんが「COFFEE AND JOHN」というキャラクターを投稿するようになって、しかも、海外の人がそのグッズを使ってる写真も見かけるようになってきたんですけど、まず「COFFEE AND JOHN」はどのように誕生したんですか?

「COFFEE AND JOHN」誕生

柴田:元々「JOHN」ってキャラクターを作ったんですよ。そうしたら友達がそのフィギュアを作りたいって言ってくれたので、作ったんですよ。

すると、フランス人のコレクターの方が偶然にも僕のSNSでJOHNのフィギュアの写真を見てくれて、それを売ってほしいって連絡をもらったので売りました。その方がJOHNのフィギュアの写真をSNSに投稿したら、その方のコレクターの仲間内で、ちょっとバズったんですよ。

それからコレクター仲間の方が、僕のアカウントをフォローしてくれるようになって、その中に台湾の方がいました。台湾はフィギュアをアートトイといって、すごく好きな人が多いんですけど、台湾の会社からコラボレーションの依頼が来て、さらにコラボレーションした会社とエージェント契約を結ぶことになりました。それから「COFFEE AND JOHN」という「JOHN」のグッズを売っているコーヒーショップがオープンして、今に至ります。

そもそもはコロナのパンデミックが分岐点になったんです。今までやってた仕事が止まってしまった中で、イラストを描き続けた手を一旦止めて冷静になって考えてみると、今後AIがイラストを描く時代になっていくだろうから、僕にしか描けないオリジナルキャラクターを売りにしていかないとヤバいな、と思いました。

そのタイミングで、「JOHN」というキャラクターをビジネスに切り替えることができましたが、有名になるとは全然思ってなくて、最初は遊びで終わらせるつもりでした

その当時、国立に住んでいたんですが、自分の子どもが通っている保育園の子どもや親御さんたちと仲良くなってたので、「JOHN」のTシャツを作って着てもらってたんですよ。周りに配ったり、イベントで売ったりして、国立はわりと小さい街なので、国立の人たちがなぜかみんな「JOHN」の服を着ているような感じになったら面白いかなって(笑)。

今後の活動・展望

五十嵐:「COFFEE AND JOHN」でアーティスト的な活動も始まってる訳ですが、今後やっていきたいことってありますか?

柴田:今後はいろんな企業とコラボレーションしたりして、「JOHN」が世界中に広まっていくといいですね。ムーミン的なポジションになればいいな、と思ってます(笑)。ちょっと大きすぎですかね(笑)。

あとは最近NFTをめちゃめちゃ頑張ってて、NFTで良いポジションを取りたいなとも思っています。もちろん「JOHN」もNFTです。

甲斐:お腹を壊すほど高まったイラストレーターになるという想いが、作風に伝わって、それを見た人たちが感動して、世界に広がっていくっていうのは本当にすごいね。

ネットが無い頃だったら、東京在住のイラストレーターが世界を広げると言っても本と雑誌くらいしかないし、見るのも日本人だけだったのが、インターネットがあったおかげで、台湾で展開してるんだもんね。やっぱりネットの時代なんだな、とあらためて思うな。

五十嵐:「柴ちゃん、最近、台湾で人気みたいだけど、どうしたの?」みたいな周りからの反響ってありますか?

柴田:みんな、誉めてくれるようになりました(笑)。今までは、自分の好きなことばっかりやってて大丈夫なの?って心配されがちだったんですけど(笑)。

当時を振り返って

五十嵐:卒業生として何かメッセージをお願いします。

柴田:Webの経験もない僕を、Webの会社に入れていただいて、しかも、Webだけではなく仕事のやり方も学ぶ機会をいただいて本当に感謝しています。

甲斐:世の中って、こういう道はこうしなきゃいけないとかって、定番みたいな生き方があると思うんですけど、そこにはすでに多くの人がいるので、ちょっと意表を突いて違うことをしてみるだけで、世界って広がるし、うちの会社がそういう形で役に立てたのは嬉しいなと思います。

五十嵐:少し早めにお疲れさん会第3回目、ゲストは柴田 昌達さんでした。ありがとうございました。


▼今回Facebookライブで対談を始めてみた実感を、甲斐がコラムにしていますので、ぜひご覧ください。

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